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「人間の測りまちがい」第二章を読んだ

2013年1月7日
科学の名のもとに、知能の差別が社会現象としてどのように起こったかを、丹念にまとめた本です。お正月に再読したので、メモを少しずつ文章化してきます。

ダーウィン以前のアメリカ人種多起源論と頭蓋計測学 - 白人より劣等で別種の黒人とインディアン


人間の測りまちがい〈上〉―差別の科学史 (河出文庫)

[書名]人間の測りまちがい〈上〉- 差別の科学史
[著者]スティーヴン・J. グールド
[翻訳]鈴木 善次, 森脇 靖子
[編集]
[装丁]戸田ツトム, 佐々木暁
[出版]河出書房新社

第一印象はお世辞にも良くなかったな、というところ。だって正直なところ訳がかなりこなれてない。さらに悪いことに、グールドも序文から冗長に責め立てる(お怒りはごもっともだけど)。内容的には二章以降は面白い本だけに、第一印象で損してるな。

というわけで第一章は置いて、二章からメモします。二章は18世紀以前の、科学的手法を使った「人の線引き」が実際に行われはじめた時代の背景を扱っています。

1. 空気レベルの差別

まず早速18世紀のヨーロッパがどんな社会状況だったかを記します。いきなりグールド先生から恐ろしい言葉を頂戴します。
十八世紀および十九世紀の人種観に対して科学がどのような影響を与えたかを評価する場合、当時の社会的指導者や知識人たちが人種のランクづけの妥当性を疑わなかった、という文化的状況があったことをまず認識する必要がある。(p91)
すべての指導的科学者は社会的慣習に従った。(p97)
現代もまだまだ相当だけど、当時はもっとすさまじい時代だったというわけ。

白人にとって黒人やインディアンをはじめとする有色人種への「差別」は空気レベルで浸透していて、しかも当時の名だたるブレインたちが、さも当たり前のごとく差別的な社会施策を進めていたと。世知辛い。

2. 二つの起源論

こうした時代の中でも、日進月歩というやつで科学も随分と科学らしくなってきます。どういうことかっていうと、「データ」っていうのを重要視するようになる。一言で言えば、帰納法を重要視するようになってきた。

背景について述べておくと、大航海時代以降、各地へ渡った当時の博物学者(ナチュラリスト…数学者兼、哲学者兼、地歴学者兼…みたいな学問の何でも屋)たちは、現地で様々なデータをどんどん取り貯めると、するとどうも聖書の記述とデータが噛み合わない、そんなことがたくさん出てくる。

そこでみんな考える。まさか聖書の方が間違ってるんじゃないかと。つまり、ようやく聖書っていう大きな「理解の壁」に向き合う必要が出て来たわけです。

こうして聖書に書かれた人や世界の成り立ちの話(起源論)を組み直す必要が出てきました。そこで起源論との矛盾をどう解消するか、そのための動きが起こるんですが、この本によれば、
進化論が登場する以前、人種のランクづけを正当化する流儀には二通りのものがあった。(p102)
とあり、
一つは「より柔軟(ソフト)な」論であり、すべての人々は聖書に示されていたアダムとイブの一つの創造に結び付けられているとする。これは「人種単起源論(モノジェネシス)」と呼ばれ、人類は一つの源から生じたという。(中略)人種の違いの主な原因として、最もポピュラーだったのが気候である。(p102)
「より強硬(ハード)な」論では、聖書を寓話として捨て去り、それぞれの人種は生物学的に別個に創造された種であり、別々のアダムの子孫であるという主張がなされた。黒人は人間とは違う別の生物なのだから、「人間の平等性」にかかわる必要などないとも言う。こう主張する人々を「人種多起源論者(ポリジェニスト)」と呼ぶ。(p103)
ということで「人種単起源論」じゃ色々と説明つかず、ひいては聖書も信用出来ないので「人種多起源論」が起こりましたということです。

前者は、従来のキリスト教的そのものですから当時の人々にもごく常識的なものです。一方の後者は「聖書を寓話として捨て去り」というフレーズの通り、科学的な立場である一方、当時としてはいささか過激な内容でした。

とは言え人種多起源論の方が、聖書から距離を置いて、地道にデータを取り貯めて説明していこうとする点で、科学や進化論の先駆けでもあります。

3. 声がでかい人

さて、あるジャンルの学問が広まったり成長するには、研究者の他にたいていスポークスマンがいます。研究せずとも、この分野がすごいと声高に唱える人や、研究者にこうした方がいい、ああした方がいいという口達者が要ります。


この人種と知能の研究分野において、その役割を担ったのが、多起源論者でもあるスイスの博物学者ルイ・アガシ(1807-1873)でした。

このアガシは動植物をとにかく分類しないと気が済まない人だったらしく、当然人についてもちょっと違いがあれば、分類したい人でした。で、そんな彼がアメリカを訪れた際にはじめて黒人に接してどうもアレルギー反応を起こしたらしく、あいつらは俺たちと同じ人じゃない、という凄まじいきつけを起こしたから大変。帰国後「黒人は白人より劣ってますし、平等にする必要はありませんよ(ドヤ)」と結論するトンデモ論文を発表します…。

ちなみにこのアガシ、本にエピソードが色々載ってるんですが、ひたすら白人最高!(インディアンはカッコイイけど)有色人種は嫌い、怖い、バカ、とメールしてたムカつく人なんですが、「アメリカの白人の若い子たちが黒人の家政婦さんとHしてるー」という苦悩を記した手紙まで本書に掲載され言わば、時空を超えた公開処刑を食らっているので、少しかわいそうではあります。少しね。

4. 骨が好き

そして今回、最後に紹介するのが、こうした偏見に基づき、実際にデータ測定して「測り間違えた」研究者です。それが下のダンディなオジサンです。


彼の名はサミュエル・ジョージ・モートン(1799 - 1851)。さっきのアガシがアメリカ時代にお宅訪問やメールでのやり取りをしてた相手です。そして、アメリカの高名な医者であり頭蓋骨収集マニアです。

もうこれだけで嫌な予感ですね。

彼はインディアンをはじめ多くの頭蓋骨を所有してました。そして
・頭蓋骨が大きいなら、入ってる脳も大きい。
・脳が大きければ、知能も優れてるだろう。
・知能が優れてるのは、白人の方。
・だから白人の方が有色人種より頭が大きいに違いない!

という、小顔・八頭身のモデル体型が持てはやされる現代では到底受け入れられない「頭がでかいの最高!」という迷推理のもと実際に頭の計測を始めます。そして「測ってみたら、やっぱり白人の方が頭大きい」というデータを本や論文にまとめていきます。

当然、当時のアメリカ国民(というか米国白人たちですが)にやっぱり白人ってすごいんだ!と大歓迎され、モートンはさらに高名になりましたとさ。

ということなんですが、グールドはモートンを
自分の物語を完成させようとしていた。(p138)
とバッサリ一刀両断します。どういうことかというと、つまり後の研究者たちによって、どうやらモートンの研究にはいろいろと「都合のいい見落とし」があったようです。なんせ当時は有色人種の栄養状態はいいわけではないですし、彼のデータは男女比なども考慮されていなかったからです。こうしたデータ改ざんが意図的だったのかは今となってはわかりませんが、モートンのデータが現在全く信用されてないのは言うまでもありません。

宗教観とか日常っていう余りに大きいバイアスがいかにデータを歪めるかについて、しみじみ考えさせられます。

まとめ

▶ 人種起源に関する二つの対立立場
・ 人種単起源論(monogenesis)…[親]宗教[反]科学
  人種人類みな兄弟。
・ 人種多起源論(polygenesis)…[親]科学[反]宗教
  人種ごとに別のアダムとイブから生まれたのでは?
▶ 人種多起源論における声のでかい人とデータ提供者
・ ルイ・アガシ(1807-1873)
  ⇒ スイスの博物学者。分類マニア。
・ サミュエル・ジョージ・モートン(1799 - 1851)
  ⇒ 頭蓋骨マニア。有色人種への偏見から研究データに歪み。